ちょうど1年前ぐらいは卒業設計をやり終えたころ。
今年は色々な人の卒業設計をちょくちょく手伝ったり、見せてもらったりした。
そして、先日、延ばし延ばしにしていた去年のヘルプの後輩にお礼もすることが出来た。
卒業設計は、どこまでも自分のものでありながら、決して自分だけでは完成しない。
1年経って改めて感じたことだ。
課題のときもそうだけども、卒業設計は特に自分にとって嘘をつかないで設計をする。
自分の中で構築をして、自問自答を繰り返す。
どこまでも個人的な行為。
同時に、先生に、先輩に、同級生に、後輩に、相談をして協力をしてもらいながら作り上げていく。
社会的な行為。
物理的な設計が立ち上がっていくあの時間と空間は、本当に祝祭的だ。
実際の建築の立ち上がっていく時間と空間に立ち会ったことはまだない。
そのパワーがどれほどのものかはまだ自分は知らない。
けれども、卒業設計を経て1年、改めて建築の力を感じた。
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