2009年8月23日日曜日

スケール1/1について思うこと・2

小泉へのレスを書いていたら長くなっちゃったので、新規投稿。

えてして学生が1/1って言っているものは、仮設とか、パビリオンとかなわけで、それそのものは目的ではなくて手段なんだよね。それを通して何をつかんだり何を学んだりしたいのか。
実施の建築って言うのは、それが建つこと自体が目的でありうるとは思うけど、それだって建てる事でそこに何かを起こしたいとか、どう使うかとかってことを考えると、建築ってやっぱり目的じゃなくて手段なのだと思う。それは、作家性とかそういう問題にもかかわってくると思う。建築を目的とするならば、その作品に自分の名前が署名されることに意味があったりするんだろうけど、手段であるならば、目的が果たされるのならば、それは誰の作品でもいいわけだし。
1/1を作ることが、作家性とか物を作る喜びとかを感じることにしかつながらないとしたら、あまり面白い話じゃないのかなって。それが今喪失してて、それを啓蒙するっていうぐらいに深く考えてのことならいいけど。そうじゃないとしたら、やっぱりその先の議論に接続していかないと、と思う。あるいは、1/1を作ることについて、隈さんが言っていたように、ローカリティーの発露の可能性みたいなものをみてるとしたら、それはそれで面白いかもしれないけど。でも、そしたら東京だけでやるとしたら、違うよなって。
企画内容を知っているわけじゃないから、なんともいえないし、別にアーキTVについての話じゃないんだけど、もうちょっと学生は意識して建築に取り組まないという気がする。それは自分も含めて。今の30代とかもっとそれ以上の年の建築家や、それ以外の人が提出している課題とか問題に対して、自分たち少なくとも自分なりの見解や同意や違いの表明をしないといけないと思う。それを、単純に世代の違いとか考えが古いとか、自分はまだ勉強不足だとか、あの人が言っていることは案外普通だとか言ってごまかしてはいけない。
それは、山本さんの言う地域社会圏の話であったり、藤村さんの言う超線形設計プロセスであったり、あるいは建築とは違うかもしれない問題に対しても。自分はそれに対して同意なのかそうでないのか、あるいは保留の態度をとるのか。あるいは、新しい問題(それが本当に新しいことはなかなかないと思うけど)を提案しているのか。1/1という問題の立て方は、どの辺の問いかけについて答えようとしているのか。その辺ははっきり見えてくるといいよね。
アーキTVはそういうことがすごく伝わりやすい形で発信できる場だと思うから、問題の立て方はすごく重要な気がする。俺で言えば、赤レンガとかもそれをどう問題として立てるかはあるよね。Y-PACやフリペもまたしかり。

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