2009年8月13日木曜日

院試とは関係のないコト

昨日でフォリオのサインを両先生に頂き終わり、フォリオから即日設計・学科にシフト。
が、昨日帰宅後から腹の調子が最悪。
結局今日の即日練習は行かずに、家で学科とフォリオの直し。

作業の合間に、にわかに活気を見せているY-GSA山本スタジオのBLOGとかRAJのBLOGとか読んでた。
山本さんの言っていることと、藤村さんが言っていることは、結構興味を持ってずっとフォローしていることだけども、なんかいまいち自分の中でどうその2人の言っていることが上手くまとまってこない。
山本さんはBLOGで上野千鶴子さんとの話をとりあげていた。
ちなみに上野さんは思想地図VOL.2のジェネレーションの号に寄稿している。
藤村さんはご存知の通り、思想地図VOL.3のアーキテクチャに寄稿。
多分、思想地図の特集にどちらの話も顔を出している以上、何かこの両者の問題に接点があるような気がするのだけども、自分の中でそれがはっきりとしない。

山本さんの地域社会圏っていう話は自分の課題のテーマとしてもあって、卒計も山本さんが担当であるし、そのことをやっていこうと思っている。上野千鶴子の言う世代の問題(あるいは介護や家族の問題)を地域社会圏という考え方は解決していけると思うし、それに自分もチャレンジしたい。

そのことと、藤村さんのやっているような話がいまいちリンクしてこない。藤村さんがしきりに言っていること(超線形設計プロセス)は方法論の話でしかないからなのか。藤村さんの議論には、その方法論を用いてどういうものが作りたいのかという視点がない(意図的にその話は現段階でしていない?)からなのか。

横国の設計の授業で思うのは、プロセスはどういうルートでもいいからあるポイントをはずすべきではないという感じがする。かなりあいまいな感想だけど。たとえば、それは社会性というキーワードだったり、山本さんの言うリアリティの問題がポイントなのかもしれない。Y-GSAがスタジオ制でスタジオごとにあるキーワードとして掲げているのもそれだと思う。
一方、藤村さんは方法論を限定して、その方法論でどういう問題をも解くといっているように思う。問題設定よりプロセスを鍛える。

自分も含めて周りを見てみると、問題意識とかどういう理想像を抱いて設計するかということと、どういう方法論や手法(表現手法も含めて)を用いて設計をするかということのバランスがまだまだ取れていないというか、全然水準として低いのだろうなと思う。
そして、そのどちらに対しても議論の行われる機会は極めて少ない、というギロンについてのギロンは横において置くとしても…。
プロセスも目的もどっちも大事に決まってんじゃない、といわれればそれまでなのだけど、急に自分の中で2人の言っていることがそういう問題系なのかなと感じた。あれ?結局自分の中でまとまってんのか?

という、なんか意味の分からない自問自答の文章になった。

ということで、なんとなく自分の中での今後しばらくの問題系が、「方法論とその先の目的について」ということになりそうな気がする。

これは、院試とは全然関係ないコトのようだけど、やっぱりそう考えると、Y-GSAのスタジオ制は目的設定の話とプロセスの話の両方を考える場所としていい環境な気がしてならない。という自分のモチベーションにつながっていたりする。

2 件のコメント:

  1. >その方法論を用いてどういうものが作りたいのかという視点がない
    それ。俺がこの前のヨコハマアパートのときにもかなり思ったけど、藤村さんの言動からはプロセスは見えても、その先にある建築、さらに先にあるゴール(たとえばどんな世の中をつくりたい、とか)が見えてこない。戦略的にまだ出さないように徹底しているのかもしれないが、ここまで見て言ってないということは考えてないのかもしれない。または俺が気づいてないか。
    こういうことは周りのみんなを見ても考えてないのだろうと思うけど、別の人から見たら、そういう考えこそが小泉の価値基準なんであって建築そのものがゴールな人もいるし、理想像があればいいというもんでもないと。そうなのかな?大志というかその先にあるものがないと結局どこかでつまずくと思うんだけど。
    長くなった。やっぱりスタンスや生き様を示すという意味でFPは出す必要があるね。

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  2. 藤村さんの話は何となく、方法論自体が目的化している気もする。どんな世の中を作りたいかとかは、今の社会では千差万別で、そもそも共有ができないから(小さな物語・島宇宙化しているから)共有したり、議論できるのは方法論だけだ!と言っている様に聞こえてしまう。あるいは、議論がかろうじてできるであろう方法論から、話し合いの土台を作ってその次のステップに行きたいのかもしれない。

    建築そのものがゴールというのは、建築そのものが何であるか良く分からないからいまいちぴんとこないけど。
    おれ自身はやっぱり、その方法論も目的も両方重要だと思うから、自分自身のそれを構築・脱構築し続けないと思うし、それについて話せるテーブルはやっぱり作っていきたいと思う。だからFPはやっぱり必要。

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