Y-PAC初の動画企画Y-PAC.TVの第1弾の公開開始です!
Ondesignの西田司さんと担当スタッフの中川エリカさんへのインタビューです。
近日中にY-PAC.comの方にもUPしますが、ひとまずはこちらでご覧ください。
ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。
2009年10月20日火曜日
2009年10月14日水曜日
Scrap&Build, ArchiTV and more!
この一週間くらいはめまぐるしく色々な予定があった。
でも、今日の予定をすっかり忘れていて、失敗した…。
せっかく面白い繋がりが作れそうだったのに…。
まずは石塚直登と小泉瑛一によるフリーペーパー「Scrap & Build Vol.1」の発行。
9日に自宅に1000部届きました。順次配布中ですので見かけたら手にとって見て下さい。
ブログはコチラ。
次にArchiTV2009に行ってきました。10日の16時からの講演会から参加して、翌11日の13時まで三田建築会館にいすわり続けました
。WSに参加するわけでもないのに、夜通しい続けた様子は、傍目からは奇妙だったと思います。
でも、夜中にY-PACradioVol.6を日大の中井翔也くんをゲストに迎えて撮ったり、色々してました。
フリーペーパーも配布させていただきましたし。
12日は日野先生の事務所に行って、ソツセイについてエスキスと言うか、アドバイスを頂きました。
ということで、久々に日記っぽいブログ。
次のポストでチョイまじめな内容を。
2009年10月10日土曜日
合意形成ツールとしての建築
去る8日、建築夜楽校第2夜行ってきました。
第2夜は「プロセスとローカリティーの関係について考える」というテーマ。
プレゼンテーションやディスカッションの内容についてはTwitterのハッシュタグ#yagakkouでの実況や、他BLOGなどで追って頂けると思うので割愛して、僕自身の感想を書きたいと思う。
僕が一番印象に残っている論点は、鈴木さんが繰り返し言っていたこと。
ステイクホルダーが膨大な量、例えば1万人とかの規模になってきたときに、家成さん、井出さんがプレゼンテーションしたようなプロセスが上手く機能するかという点である。
複数人(最低でも事務所の3人)が、互いに互いの設計を参照・改変・編集しあう家成さんの超並列プロセスや、その各ヴァージョンのデータの扱い方をタグとして残し、その履歴を面的に検索して設計を行う井出さんのプロセス。
これらの方法はクライアントや関係者が比較的少人数な場合上手く機能するけども、公共施設のような大人数では機能するか否かということだ。
この点に関しては、古谷さんの言っていた話に答えがあるように思う。
一種日本的な合意形成の話として、村である合意形成をしようとした際に、3日間老人たちがああでもないこうでもないと言い合って、4日目にじゃあ言いたいことは大体言ったし後は村長に任せよう、という風になるという話をしていた。
あるプロセスを経ることで、共同体における合意形成が何となくできてしまう。
その合意が正しいかとか、合理的かはあまり問題でなくて、共同の幻想が抱けるかどうか。
それは、プロセス自体に合意できるか、ということの方が結果よりも大きいのだと思う。
自分の意見がある程度反映されそうなプロセスで、議論や検討が尽くされたのなら、まあ、結果できたものが100%満足いかなくてもいいか、というのが合意形成だと思う。
ステイクホルダーが膨大な数になったとき実際意見が反映されるのは、膨大な母数から抽出された代表になってしまうのが今の現実だ。
そこに対して、情報技術が関わっていく事は有効だと思う。
それは、第1夜に小嶋さんが言っていた、沢山の矢印を単純化しないで、複雑なままに扱うということなのかもしれない。
ステイクホルダーの発する意見を情報技術によって掬い取って、使える限りの手段(BIM、模型、スケッチetc...)でシミュレートして、その際にどのデータを採用したか・しなかったかを明示して(タグと履歴)、更にバージョン違いでシミュレートして…を繰り返すことで徐々に合意を形成していく。
そのプロセスの開発・実装と運用を建築家が行う。
プロセスが仮に全く同じでも、データによって固有性が必ず発生する。
それはローカリティーといえると思う。
データはステイクホルダーの発する意見だけではなく、その場所の状況(五十嵐さんの言う気候・風・雨・雪・可能な施工技術などや中山さんの言うクローバー)も当然含まれる。
それら、膨大な変数をどのようなプロセスで合意させていくか。
現状では確かに、扱うべきデータ量や変数が、ある量を超えるとプロセスは上手く働かないとは思う。
そこには、アナロジーとしてでなく、情報技術の実装が不可欠だとは思う。
このことは結局、空間性の話とかに結びつかないとか反撃されそうだが、そんなことはない。
もし、か豊かな空間性のイメージが自分の中にあるのなら、如何にそれを実現できそうなプロセスを作り得るかを考えればよい。プロセスが空間よりも重要だとか、その逆だとかという話ではない。
長々と書いた割りに、まとまっていませんが、2夜分を聴き終えての感想です。
これから社会に出て行く身としては、じゃあ自分はどう振舞っていくべきかということになってしまうのですが。
夜楽校と言うだけあって、本当に勉強になりました。
数年~10数年の間に勉強させられるだけでなく、一緒に議論ができるようになっていたいとひしひしと感じる2晩でした。
第2夜は「プロセスとローカリティーの関係について考える」というテーマ。
プレゼンテーションやディスカッションの内容についてはTwitterのハッシュタグ#yagakkouでの実況や、他BLOGなどで追って頂けると思うので割愛して、僕自身の感想を書きたいと思う。
僕が一番印象に残っている論点は、鈴木さんが繰り返し言っていたこと。
ステイクホルダーが膨大な量、例えば1万人とかの規模になってきたときに、家成さん、井出さんがプレゼンテーションしたようなプロセスが上手く機能するかという点である。
複数人(最低でも事務所の3人)が、互いに互いの設計を参照・改変・編集しあう家成さんの超並列プロセスや、その各ヴァージョンのデータの扱い方をタグとして残し、その履歴を面的に検索して設計を行う井出さんのプロセス。
これらの方法はクライアントや関係者が比較的少人数な場合上手く機能するけども、公共施設のような大人数では機能するか否かということだ。
この点に関しては、古谷さんの言っていた話に答えがあるように思う。
一種日本的な合意形成の話として、村である合意形成をしようとした際に、3日間老人たちがああでもないこうでもないと言い合って、4日目にじゃあ言いたいことは大体言ったし後は村長に任せよう、という風になるという話をしていた。
あるプロセスを経ることで、共同体における合意形成が何となくできてしまう。
その合意が正しいかとか、合理的かはあまり問題でなくて、共同の幻想が抱けるかどうか。
それは、プロセス自体に合意できるか、ということの方が結果よりも大きいのだと思う。
自分の意見がある程度反映されそうなプロセスで、議論や検討が尽くされたのなら、まあ、結果できたものが100%満足いかなくてもいいか、というのが合意形成だと思う。
ステイクホルダーが膨大な数になったとき実際意見が反映されるのは、膨大な母数から抽出された代表になってしまうのが今の現実だ。
そこに対して、情報技術が関わっていく事は有効だと思う。
それは、第1夜に小嶋さんが言っていた、沢山の矢印を単純化しないで、複雑なままに扱うということなのかもしれない。
ステイクホルダーの発する意見を情報技術によって掬い取って、使える限りの手段(BIM、模型、スケッチetc...)でシミュレートして、その際にどのデータを採用したか・しなかったかを明示して(タグと履歴)、更にバージョン違いでシミュレートして…を繰り返すことで徐々に合意を形成していく。
そのプロセスの開発・実装と運用を建築家が行う。
プロセスが仮に全く同じでも、データによって固有性が必ず発生する。
それはローカリティーといえると思う。
データはステイクホルダーの発する意見だけではなく、その場所の状況(五十嵐さんの言う気候・風・雨・雪・可能な施工技術などや中山さんの言うクローバー)も当然含まれる。
それら、膨大な変数をどのようなプロセスで合意させていくか。
現状では確かに、扱うべきデータ量や変数が、ある量を超えるとプロセスは上手く働かないとは思う。
そこには、アナロジーとしてでなく、情報技術の実装が不可欠だとは思う。
このことは結局、空間性の話とかに結びつかないとか反撃されそうだが、そんなことはない。
もし、か豊かな空間性のイメージが自分の中にあるのなら、如何にそれを実現できそうなプロセスを作り得るかを考えればよい。プロセスが空間よりも重要だとか、その逆だとかという話ではない。
長々と書いた割りに、まとまっていませんが、2夜分を聴き終えての感想です。
これから社会に出て行く身としては、じゃあ自分はどう振舞っていくべきかということになってしまうのですが。
夜楽校と言うだけあって、本当に勉強になりました。
数年~10数年の間に勉強させられるだけでなく、一緒に議論ができるようになっていたいとひしひしと感じる2晩でした。
2009年10月3日土曜日
フリーペーパー入稿
半日かけてフリーペーパーの入稿作業が終了。
最後PDFに変換する段階で結構てこずってしまった。
次回からはインデザインで統一して作ろう。
まあ、かなり前から構想していた小泉と共同出版のフリーペーパーですが、何とか1号完成。
1年弱の間で4号までの発行を予定しているので、今後も乞うご期待ということで。
フリペ用の専用BLOGも配布開始に合わせて公開していきます。
配布開始はおそらく10/10・11のarchiTVになると思います。
初回から無謀にも1000部発注したので、どんどん配布していきたいと思います。
色々と突っ込みどころはあるとは思いますが、積極的なアウトプットの実行として、毎号ブラッシュアップしつつ4号やりきりたいと思います。
最後PDFに変換する段階で結構てこずってしまった。
次回からはインデザインで統一して作ろう。
まあ、かなり前から構想していた小泉と共同出版のフリーペーパーですが、何とか1号完成。
1年弱の間で4号までの発行を予定しているので、今後も乞うご期待ということで。
フリペ用の専用BLOGも配布開始に合わせて公開していきます。
配布開始はおそらく10/10・11のarchiTVになると思います。
初回から無謀にも1000部発注したので、どんどん配布していきたいと思います。
色々と突っ込みどころはあるとは思いますが、積極的なアウトプットの実行として、毎号ブラッシュアップしつつ4号やりきりたいと思います。
2009年10月2日金曜日
データを誰が集めるか
最近は、どうも聞いたことを頭の中で咀嚼して、文章にするのに1テンポかかるようになった。
ちゃんとモノを考えるようになったと捉えるべきか、頭の回転が追いついていないと戒めるべきか…。
昨晩の建築夜学校について。
おおよそ小泉のような感想になってしまうのだけれども、ちゃんと自分の言葉で書いておこう。
やはり建築家というのは、どのデータを拾ってくるか、あるいは何をデータとしてみなすかという役割においてなくならないと思う。やっぱり中山さんにしかクローバーはデータとして認識できないと思う。
そして、そのデータをどのようなプロセスにおいて構築していけば建築となるか、を考えるのも建築家であると思う。
BIMは一般に建築のデータになりそうなものを網羅しているプロセスだけども、やはりそこにクローバーは組み込めない。クローバーを組み込むにはスケッチは有効だ。
データに対する適切なプロセスの開発を毎回、あるいは建築家ごとに行う必要がある。
その点を考えると、やはり藤村さんが言うように、建築を作っている人同士がその方法論を見せ合って議論していくような場は絶対に必要なのだと思う。それによって、方法論を互いに切磋琢磨していける。
その一方で、データを拾う作業そのものは建築家がやらなくてもよい可能性があると、僕は感じる。
例えばWikipediaやGooglemapには一般の人々が集めた無数の情報が書き込まれていく。
その情報の正確性の問題などはまた別にあるにしろ、その量は建築家個人が集められる量を遥かにしのぐ。
その情報を建築を作っていくデータとしてBIMのようなものにぶち込んでいくことは可能になるだろう。
もちろんその無数の情報の中から何を入力すべきデータとするか、パラメータとみなすかを選択する段階において建築家は必要なのかもしれないが。
この話は、建築単体と言うよりは都市計画や街づくりに関しての方が言える事かもしれない。
Y-PACradioVol.5においてアニメ「東のエデン」を引き合いに出したが、街にあふれるタグ情報を元に建築や都市が作られるようになれば、建築家個人の想像力を超えた建築を作っていくこともまた可能になるのではないだろうか。そもそも建築は建築家個人で作っているわけではなく、多くの人が前提として関わっているということを忘れるべきではないにしても。
セカイカメラの例もあるし、そのようにデータを拾ってくるツールは急激に進化を遂げている。
情報技術によって発見される、あるいは顕在化する、あるいは付与されるデータが、結果としてローカリティを地域や建築に与えていく可能性は大いにあると思う。
その辺の話が10/8の後半第二夜に行われるのだろうか。
ちゃんとモノを考えるようになったと捉えるべきか、頭の回転が追いついていないと戒めるべきか…。
昨晩の建築夜学校について。
おおよそ小泉のような感想になってしまうのだけれども、ちゃんと自分の言葉で書いておこう。
やはり建築家というのは、どのデータを拾ってくるか、あるいは何をデータとしてみなすかという役割においてなくならないと思う。やっぱり中山さんにしかクローバーはデータとして認識できないと思う。
そして、そのデータをどのようなプロセスにおいて構築していけば建築となるか、を考えるのも建築家であると思う。
BIMは一般に建築のデータになりそうなものを網羅しているプロセスだけども、やはりそこにクローバーは組み込めない。クローバーを組み込むにはスケッチは有効だ。
データに対する適切なプロセスの開発を毎回、あるいは建築家ごとに行う必要がある。
その点を考えると、やはり藤村さんが言うように、建築を作っている人同士がその方法論を見せ合って議論していくような場は絶対に必要なのだと思う。それによって、方法論を互いに切磋琢磨していける。
その一方で、データを拾う作業そのものは建築家がやらなくてもよい可能性があると、僕は感じる。
例えばWikipediaやGooglemapには一般の人々が集めた無数の情報が書き込まれていく。
その情報の正確性の問題などはまた別にあるにしろ、その量は建築家個人が集められる量を遥かにしのぐ。
その情報を建築を作っていくデータとしてBIMのようなものにぶち込んでいくことは可能になるだろう。
もちろんその無数の情報の中から何を入力すべきデータとするか、パラメータとみなすかを選択する段階において建築家は必要なのかもしれないが。
この話は、建築単体と言うよりは都市計画や街づくりに関しての方が言える事かもしれない。
Y-PACradioVol.5においてアニメ「東のエデン」を引き合いに出したが、街にあふれるタグ情報を元に建築や都市が作られるようになれば、建築家個人の想像力を超えた建築を作っていくこともまた可能になるのではないだろうか。そもそも建築は建築家個人で作っているわけではなく、多くの人が前提として関わっているということを忘れるべきではないにしても。
セカイカメラの例もあるし、そのようにデータを拾ってくるツールは急激に進化を遂げている。
情報技術によって発見される、あるいは顕在化する、あるいは付与されるデータが、結果としてローカリティを地域や建築に与えていく可能性は大いにあると思う。
その辺の話が10/8の後半第二夜に行われるのだろうか。
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