2009年10月2日金曜日

データを誰が集めるか

最近は、どうも聞いたことを頭の中で咀嚼して、文章にするのに1テンポかかるようになった。
ちゃんとモノを考えるようになったと捉えるべきか、頭の回転が追いついていないと戒めるべきか…。

昨晩の建築夜学校について。
おおよそ小泉のような感想になってしまうのだけれども、ちゃんと自分の言葉で書いておこう。
やはり建築家というのは、どのデータを拾ってくるか、あるいは何をデータとしてみなすかという役割においてなくならないと思う。やっぱり中山さんにしかクローバーはデータとして認識できないと思う。
そして、そのデータをどのようなプロセスにおいて構築していけば建築となるか、を考えるのも建築家であると思う。
BIMは一般に建築のデータになりそうなものを網羅しているプロセスだけども、やはりそこにクローバーは組み込めない。クローバーを組み込むにはスケッチは有効だ。
データに対する適切なプロセスの開発を毎回、あるいは建築家ごとに行う必要がある。
その点を考えると、やはり藤村さんが言うように、建築を作っている人同士がその方法論を見せ合って議論していくような場は絶対に必要なのだと思う。それによって、方法論を互いに切磋琢磨していける。

その一方で、データを拾う作業そのものは建築家がやらなくてもよい可能性があると、僕は感じる。
例えばWikipediaやGooglemapには一般の人々が集めた無数の情報が書き込まれていく。
その情報の正確性の問題などはまた別にあるにしろ、その量は建築家個人が集められる量を遥かにしのぐ。
その情報を建築を作っていくデータとしてBIMのようなものにぶち込んでいくことは可能になるだろう。
もちろんその無数の情報の中から何を入力すべきデータとするか、パラメータとみなすかを選択する段階において建築家は必要なのかもしれないが。
この話は、建築単体と言うよりは都市計画や街づくりに関しての方が言える事かもしれない。
Y-PACradioVol.5においてアニメ「東のエデン」を引き合いに出したが、街にあふれるタグ情報を元に建築や都市が作られるようになれば、建築家個人の想像力を超えた建築を作っていくこともまた可能になるのではないだろうか。そもそも建築は建築家個人で作っているわけではなく、多くの人が前提として関わっているということを忘れるべきではないにしても。
セカイカメラの例もあるし、そのようにデータを拾ってくるツールは急激に進化を遂げている。

情報技術によって発見される、あるいは顕在化する、あるいは付与されるデータが、結果としてローカリティを地域や建築に与えていく可能性は大いにあると思う。
その辺の話が10/8の後半第二夜に行われるのだろうか。

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